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東京地方裁判所 昭和39年(タ)259号 判決

原告 太田鉄三

被告 検察官

主文

原告を中華民国台湾省台中県神岡郷社国村拾肆鄰中山路壱肆零號亡林葆郷の子と認知する。

訴訟費用は国庫の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、その請求の原因として、別紙請求原因事実記載のとおり述べた。証拠〈省略〉

被告は「原告の請求を棄却する。」との判決を求め、請求原因事実中、原告出生の事実、林葆郷死亡の事実は認め、その余の事実は不知と答えた。〈証拠省略〉

理由

弁論の全趣旨から各その成立を認め得る甲第一、第五、第二二号証と原告法定代理人尋問の結果によれば、原告は昭和二三年三月九日東京都杉並区上荻窪一丁目五四番地において日本人である原告法定代理人太田米子の出産した子であり、昭和三七年一一月一〇日原告主張の林葆郷により認知された旨の届出がなされたが、同三九年一〇月一四日右認知の無効の裁判が確定し、現に戸籍簿上父欄の記載を欠いたままの右米子の婚外子とされているものであることを認めることができる。

次に弁論の全趣旨から各その成立を認め得る甲第二、第三号証、第一四号証の一ないし三、第一六、第一七号証、証人伊藤忠雄の証言によりその成立を認め得る甲第一九号証、原告法定代理人尋問の結果各その成立を認め得る甲第八ないし第一二号証の各証、第二三、第二四号証と、右証人の証言、並びに原告法定代理人尋問の結果によれば、太田米子は原告主張のとおり昭和二一年六月その主張の林葆郷と事実上の婚姻をなし、林米子と名乗つて同棲生活を開始し、葆郷の父、母、その他の親族、友人等からも葆郷の妻としてみられる生活を継続していたこと、原告は米子が葆郷と右のとおり事実上の夫婦としての生活を送るうちに儲けられた子であり、葆郷は勿論、原告を自己の子として撫育していたし葆郷の父、母、弟、友人等もいずれも原告を葆郷の子であると認めて待遇し、疑念をもつたことがないこと、葆郷は昭和三七年一〇月一一日死亡したものであること、以上を認めることができ、右認定を左右するに足る証拠はない。

右認定諸事実から考えれば、葆郷は原告の血統上の父、すなわち生父であると認めるのが相当である。

そこで法例第一八条に照して考えるに、先ず原告の属する我国民法に依拠すれば、葆郷が原告の血統上の父であり、昭和三七年一〇月一一日死亡したものであることは上段認定のとおりであり、本訴の提起が同三九年八月三一日であることは本件記録上明らかであるから、裁判認知を求め得る要件を充足しているものといわなければならない。次に葆郷の属する国である中華民国民法によれば、裁判認知は子女出生五年以内にこれをなすべきことを定めてあるが、同法第一〇六五条によれば、生父に撫育された子は既に認知されたものとみなされ、父子関係の存在が認められることとなつている。そうとすれば原告は中華民国民法によれば既に父子関係の存在を肯認されるのであるから、同国法によればもはや裁判認知を求める必要はなく、この点において認知請求の要件を具備していないこととなる。しかし上段判示のとおり、日本人である原告の本国法によれば、いまだ父子関係の存在は認められないのであるから、前示父子関係の存在は片面的なものとなり、原告としてはなお認知を求める必要があり、その点においてはなお認知を求める要件(父子関係の不存在)を具備しているものといわなければならない。次に、中華民国民法によれば裁判認知は子女出生五年以内に提起されなければならないと定めてあることは前示のとおりであり、本件訴が原告出生後五年以上を経過していることは上記判示のとおりである。しかし右中華民国民法によれば、葆郷と原告とは既に父子関係が存在するものとみなされているのであるから、原告が本訴認知請求を肯認されたとしても、これによつて右国法上に許されない子女出生後五年を超えた後に父子関係を創設することとはならないのみならず、父子関係を認めることこそ却つて同国法の趣旨に適合する筋合である。したがつて前示訴提起期間の制限は本件においては認知請求を排斥すべき要件とはならないものと解すべきである。

以上説示のとおりであり、原告の本訴請求は、原告、葆郷双方の本国法に照せば、その理由あるものと認めるべきであるから、これを正当として認容し、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条、人事訴訟手続法第三二条、第一七条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 小河八十次)

別紙

請求原因事実

一、(原告出生の経過)

原告の母太田米子と林葆郷はかねて知人を通じて交際関係にあつた処昭和二一年六月中頃より正式な夫婦として昭和三七年一〇月一一日林葆郷が死亡するまで、(但し、昭和三七年中は入院期間もある)生活していたものである。その間林葆郷と太田米子間の子供として昭和二三年三月九日原告鉄三を、又同二六年一〇月一六日弟信三を出産した。

二、従つて、右の間原告の母親は林葆郷以外に他の男性とは、何ら関係なく母親米子と林葆郷が夫婦で原告らがその間にできた子供である事については、林葆郷は勿論のこと同人の両親をはじめ親類友人等全部が平素から何らの疑いも持たず認めて来た明白な事実であつた。

三、林葆郷は昭和三七年四月頃より癌の病状が悪化したので、死後の先々の事を考え、原告を正式に認知手続して置くべく、同年一〇月中頃妻太田米子、同人の兄太田実及び弁護士宮田光秀氏にその事を話し手続を依頼した。

四、併し乍ら、右手続は種々事務上の支障があつて遅滞し同年一一月一〇日認知届出が完了した。ところが、右林葆郷は、右届出以前である同日の午前零時五十二分に千葉大学医学部附属病院にて死亡した。

五、そこで右認知の届出手続は、無効との疑いが生じ、原告は昭和三九年八月二〇日東京の家庭裁判所に対し、右届出によつて、なされた戸籍の記載の抹消を求める申立中である。(事件番号昭和三九年(家)第八四四九号)

六、原告は中華民国の法律によれば、認知の効果を認められているが、右戸籍の訂正により日本の戸籍上は父親が明らかでなくなるので、本訴に及んだ次第である。

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